先日、半世紀前に出された警察庁広報誌『焦点』の「つかまった北朝鮮スパイ」という特集を読んでいたら、スパイ小説のような面白さにすっかりハマりました。昔の政府広報はサービス精神旺盛だったんですね。

摘発事例の紹介は、1973年12月22日の羽田空港国際線ロビーからはじまります。警察の捜査官が、これからハンブルグ行きの飛行機に乗ろうとする一人の男に近づきます。
捜査官「警察の者ですが・・・」
男は、一瞬ギクリとした表情となりました。
捜査官「あなたは、日本の名前の『水山』さんですね?」
男「いや、違います。ワタシは『鈴木』です」
捜査官「そう、『鈴木』というのは、あなたが持っている旅券の名前ですね」
男「ワタシは・・・」
ボストンバッグを持つ男の手は、心なしか震えています。

そのときです。ベテラン捜査官のひとりが、男の肩をポンとたたいて「なあ、あんたとは長い付き合いだったよ」というと、男の表情はこわばりました。そして腹の底から絞り出すような声で「ウム・・・、そうでしたか・・・」というと、観念して肩を落としたのです。
この男こそ、4年前の1969年10月に北朝鮮工作船に乗って青森県の海岸から密入国した水山義夫こと金一東だったのです。


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押収された乱数表

韓国生まれの金は、15歳だった1940年に大阪に住む叔父の家に預けられ、日本の学校に通いました。学校は3年で中退し、1944年に韓国に帰国しています。その後1950年に侵略してきた北朝鮮軍に兵士として加わり、特務下士官で除隊すると、朝鮮労働党への入党を許され陸海運省(運輸省)の役人となりました。そんなある日、党中央機関に呼び出されて「日本に潜入するスパイになれ」と命令され、8カ月にわたるスパイ教育を受けさせられます。そして無線機、乱数表、暗号表、暗号用薬品などスパイ道具一式と、活動資金として日本円300万円を渡されて、日本に密入国したのでした。

金は大阪を拠点に、与えられた任務を遂行していきます。

1 日本と韓国の政治、経済、軍事に関する秘密情報の入手
2 韓国にある朝鮮革命組織との連絡ルートの構築
3 来日した韓国人留学生を取り込み北朝鮮に送る

そして、薬品を調合して作られた透明の「暗書インキ」で報告書を書き、知人への手紙を装って北朝鮮に送っていました。本国機関では特殊な薬品で文字を浮かび上がらせて、報告を読んでいました。

そんなある日、金は公安警察の網に引っかかります。金のスパイ活動に協力する在日朝鮮人が、羽田空港を飛び立って東ベルリンにある北朝鮮大使館に入ったことを掴んだのです。この朝鮮人は、妻の妹の夫である日本人に成りすまして日本パスポートを不正に入手していました。警察はその後も粘り強く徹底的に調べ上げ、ついには金が日本人に化けて出国しようとしていることまで突き止め、逮捕を実現したのです。

金は正体がバレた後も、巧妙に証拠隠滅をはかります。逮捕されたあと捜査官に「タバコが吸いたい」と懇願しました。捜査官が自分のポケットからショート・ホープを取り出して「どうぞ」とすすめると、金は「そのタバコは辛いのでいらない。私のボストンバッグに入っている『チェリー』が吸いたい」と言います。
このやり取りで熟練の捜査官はピンときました。さっそく中に入っていたチェリーを調べると、一本の中から巧妙に隠された乱数表が出てきたのです。さらに金のオーバーを調べると、裏側に巧みに縫い込まれた暗号表も発見されました。

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タバコの中に隠された乱数表

逮捕から12日後、警察が北朝鮮から流れてくる乱数放送(暗号放送)を傍受していると「1336号、1336号」と金の呼び出し番号が読み上げられました。続けて流れてきた「86722、37547・・・」の長い数字を記録し、押収された乱数表と暗号表によって解読すると、次の内容であることが判明しました。

1 接線できなかった事情を報告せよ
2 新年にあたり事業の成果と健闘を祈る

敵国の暗号を破るというのは大金星です。秘密工作の中身が筒抜けになるのです。たとえ変えられても、次の暗号を破るカギとなります。警察広報誌には書かれていませんが、当然のことながらアメリカ、西ドイツ(当時)、韓国等の情報機関から「日本やるじゃねえか!」と賞賛が寄せられたことでしょう。西側全体への大きな貢献です。捜査チームは、警察庁長官賞を受賞したはずです。


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押収された無線機

しかし残念ながら、特集は悲しい終わり方をしています。「さる三月五日、旅券法、外国人登録法違反などによって金に懲役一年の有罪判決が下った」

血の滲むような努力のすえ金を摘発した当時の捜査官に悪いのですが、「たったの懲役1年かよ!」と思わずにはいられません。普通の国なら金のようなスパイは、長い懲役刑を宣告されて獄につながれます。アメリカでは終身刑になる場合もあります。そして味方を救出する必要が出たとき、スパイ交換の駒として使われます。日本なら、拉致被害者を救出する取引材料になるのです。

日本にはスパイ防止法がないので、この手を使えません。何の罪もない拉致被害者が半世紀近く祖国に帰ることができないのに、危険極まりない北朝鮮スパイはたったの懲役1年。なんということでしょう。

法の不備のため、その後も北朝鮮による工作活動は続きました。女子中学生を含め、大勢の日本人が拉致されました。そして北朝鮮は朝銀破綻で日本国民に1兆円以上払わせたばかりか、日本から持ち出したカネと技術で核兵器まで作りました。今現在でも出先機関・朝鮮総連の者たちは議員会館に出入りしています。

法律・政策を変えなければならないと、つくづく思います。



Emperor Meiji uniform
おほぞらにそびえて見ゆるたかねにも
登ればのぼる道はありけり
(明治天皇御製)