このたび、韓国のユスリタカリを撃退する強力な武器が手に入りました。

松原仁先生が5月31日の衆議院外務委員会で、林外相から次の答弁を引き出しました。
「あくまで一般論として申し上げますと、公文書等の内容を否定する場合には、その根拠となる事実関係を明確にするということは当然に期待される」

下記で動画をご覧いただけます。
https://twitter.com/JapanLobby/status/1663806724569182210
当たり前の道理ではありますが、立証責任の所在について外務大臣が明確にした意味は大きいと思います。

matsubarajindietseat

前回お伝えしたように、韓国政府は日本の教科書検定について「朝鮮志願兵は望んで日本軍人になったわけでない」と在韓日本大使館の熊谷直樹総括公使を呼び出して抗議してきました。

反日プロパガンダの司令塔の北朝鮮政府は「日本は840万人を強制連行し100万人を虐殺した」との主張を繰り返しており、志願兵も強制連行被害者だとしています。今後、志願兵に関する煽情的な虚偽再現ドラマがつくられ、韓国世論が沸騰する「いつものパターン」が危惧されます。

それが今回の答弁によって、朝鮮志願兵の倍率が50倍以上だったことを示す旧内務省文書を否定する立証責任が、韓国側にかかることになったのです。この公文書は捏造だと韓国側が立証できない限り、日本政府は謝罪も賠償もできません。韓国人が泣いて叫んでも、日本の売国議員が働きかけても、政府は答弁に拘束されるので無理です。

志願倍率の表は、国立公文書館アジア歴史資料センターHPに掲載された旧内務省文書の17ページにあります。

昭和16年     志願者144,743人 入所者3,208人 志願倍率45.1倍
昭和17年     志願者254,273人 入所者4,077人 志願倍率62.4倍
昭和18年     志願者303,394人 入所者約6,000人(暫定数) 志願倍率約50倍


むろん韓国側の立証責任は、これにとどまりません。下記は、韓国側が抗議してきた教科書掲載画像の全体を表示した『アサヒグラフ』昭和18年7月7日号の記事です。

Asahi Graph 19430707

これが強制連行被害者だというなら、なぜやる気に満ちた表情なのか? なぜ銃や銃剣を渡しているのか? なぜ反乱が起きなかったのか? そして朝鮮志願兵出身の李厚洛元駐日大使・元KCIA長官は、なぜ全く被害を訴えなかったか?
韓国側は「その根拠となる事実関係を明確にするということは当然に期待される」ことになります。


★ 李王家のイケメン殿下

サミットのとき日韓首脳が広島公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花しましたが、同慰霊碑が当初建立された場所は、大日本帝国陸軍中佐だった李王家の李鍝(イ・ウ)殿下の発見場所です。当時の実情をよく物語っていると思います。

多くの韓国人が「日本人は我々を蔑視してきた」と思い込んでいますが、李王家が大日本帝国の「王公族」として皇族に準じる存在だった事実はほとんど知られていません。李王家当主の李垠(イ・ウン)殿下は梨本宮方子女王殿下と御結婚され、昭和18年には陸軍中将として航空軍司令官に就任されています。のちに日本に帰化された李鍵(イ・コン)殿下(帰化後は桃山虔一)も陸軍軍人で、陸軍戦車学校研究部主事などを歴任されました。王公族の李王家は、近衛家などの旧摂関家や公爵位を授けられた徳川宗家より格上でした。一般の日本人からすれば雲の上の存在です。

Prince Lee Wu

容姿端麗で知られた李鍝殿下は学習院から陸軍幼年学校、陸軍士官学校に進まれ、昭和8年に陸軍砲兵少尉に任官されました。昭和17年3月から陸軍大学校で日本の国体について研究され、皇軍統帥の大義に関する『日本の戦争と統帥』と題した立派な論文を著されています。私のほうで5年前に、自衛隊有力OBのお力を借りて防衛研究所で発見しました。閑院宮家から寄贈された殿下の論文は、非常に格調高いものです。


我が國體は、肇國の精神に根源し、我が國の戰争は、國體の顕現に外ならぬ。
(中略)
我が國の戰争が、天業を恢弘して八紘を皇恩によつて掩はんとし給ふものであり、此の御業を妨害し、まつはざる徒に對しての、完全なる皇化作業の姿であると云うことは、前述の通りである。
深い慈愛の手を以て正しい心に導き、正しい姿に矯め、眞の日本の國體を存ぜしめて皇恩に浴さしめ、各々其の處を得せしめて、共に榮え行かしめんとする。この恩情の姿を、此の恩情を受けず、或いは邪心を以て我に冠なし、或いは我が國是を妨ぐる者に振ふべき峻厳なる威の鞭とがなくてはならないのである。(『日本の戦争と統帥』)


殿下はまた、国民の義務についても説かれました。これは徴用や徴兵に関わってくる部分です。


國民は總て輔翼の責を持つて居る。富貴貧賎は論ずる所にあらず、農民は農民として、漁夫は漁夫として、各種の業者皆夫々の輔翼の道がある。
これと竝行して、總ての國民は、國を統べ給ふ其の命に畏み服し、仰ぎ守り、行つてゆかねばならない。(『日本の戦争と統帥』)


論文は附録部分で、後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成について詳しく解説しています。士官学校同期の井田正孝中佐によれば殿下は日本の古典をよく読まれ、国体への深い識見をお持ちであったとのことです。昭和19年の歌御会始のお題は「海上日出」でしたが、殿下は「つはものかさゝぐるつゝにてりはえてみなみのうみにはつひかかやく」と詠われて、天皇陛下御製や皇族方の御歌とともに、新聞の一面に掲載されました。

殿下は昭和20年8月6日に広島で、軍参謀として作戦任務御遂行中に被爆され、翌日戦死されました。新聞で大きく報道され、天皇陛下の勅使として小出侍従が渋谷区常盤松町(いまの國學院大學のあたり)の公邸を弔問に訪れています。阿南惟幾陸軍大臣の談話も発表されました。お付き武官だった吉成弘中佐は、殿下を守り切れなかった責任を感じて自決しています。

真実が知られてほしいものです。



Emperor Meiji uniform
苔むせるいはねの松の万代も
うごきなき世は神ぞもるらむ
(明治37年歌御会始御製・ロシアに宣戦布告する1カ月前)