★ チャンネル桜で解説

9月8日公開のチャンネル桜の人気討論番組「闘論!倒論!討論!」に出演し、朝鮮総連破産の必要性を力説する機会を得ました。番組最後で、水島社長と増元さんから力強い賛同メッセージをいただき感謝です!
32分目くらいから話しています。



今回もうひとつ解説の機会を得たのは、東京オリンピックからの北朝鮮排除です。
もしも2020年までに拉致被害者が全員救出されていなければ、北朝鮮参加なんてありえません。断固お断り。私たちの同胞が監禁されたまま日本に帰国できないのに、北朝鮮の体制宣伝チームだけが日本に入国できるなんて、そんなバカな話はありません。南北統一チームになろうがなるまいが、とにかく拉致被害者を解放しない限り、北の人間は一切入れられません。オリンピックを「拉致を忘れる祭典」にしては絶対にダメです。妥協の余地はありません。

残念ながら、基本的に主催国は入国拒否できないことになっています。IOCが選手やコーチを認証すると、その認証がビザ代わりになるシステムです。
しかし例外はあります。2012年に開催されたロンドンオリンピックでイギリス政府は、アサド政権やシリア政府軍との関係を理由にシリアオリンピック委員会委員長のモワファク・ジョウマー将軍の入国を拒否しました。世論は当然視し、なにも問題は起きませんでした。

この前例を応用すれば、日本人拉致に責任がある北朝鮮政府および朝鮮労働党との関係を理由に、北朝鮮関係者を入国拒否できます。シリアの戦争犯罪と同じように、北朝鮮の拉致も現在進行形の国家犯罪です。諸外国の理解は得られます。番組では2時間9分目くらいで解説しました。

オリンピック参加拒否は、拉致被害者を救出するうえで有効な圧力となります。なにしろ「最高尊厳」の金正恩が「東京オリンピックに参加する」と言ってしまったのです。北朝鮮外務省は何が何でも実現する必要に迫られています。失敗すれば、責任を取らされて農場送りになる可能性があるのです。当然の帰着として、日本から入国拒否を食らわないように「拉致被害者を返したほうがいいのでは」と正恩に言うようになるでしょう。



ここで皆様にお願いがあります。ほんの少しだけお時間をください。首相官邸ホームページ「ご意見募集」から、「東京オリンピックから北朝鮮を排除してください!」と総理宛にメールをお送りいただきたいのです。国民の支持が総理を後押しします。
http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html


同様の意見を外務省の「御意見・御感想」にもお送りください。
https://www3.mofa.go.jp/mofaj/mail/qa.html


拉致被害者を取り返すためには、あの手この手を考えて、次々と仕掛けていく必要があります。安倍総理が「オリンピック参加拒否」をカードとして使えるように、どんどん要請メールをお送りください。よろしくお願いします。

TokyoOlympics1964Opening

1964年東京オリンピックの聖火リレー
2020年オリンピックを北朝鮮に汚されてはならない




★ 新たなタカリのネタ「強制連行」

チャンネル桜の討論で出てきたように、これから韓国・北朝鮮は徴用工問題で日本を攻撃してきます。徴用の規模について北朝鮮代表部は国連人権理事会で2006年6月20日、「拉致は解決済。我が国と日本の間で未解決の問題は、第2次大戦時の日本による840万人の強制連行であり、100万人の虐殺だ」と途方もない数字を出してきています。その翌月にも北朝鮮外務省の李炳徳研究員が日本記者団に、「100余万の朝鮮人を虐殺し840万の強制連行を行い、20万の慰安婦をつくったことに日本側は謝罪せず、拉致問題にかみ付こうとしている」と述べています。

これがどれほどバカげた数字であるかは、皆様すでにご存じの通りです。本ブログ2017年6月17日付記事でも解説しました。


今回は朝鮮人将校について書きたいと思います。チャンネル桜では1時間56分目時点くらいから話しました。当時の現実はどうだったのか、感じていただけたらと思います。

韓国の朴正煕大統領は、満州国陸軍軍官学校に日系将校枠で入学しています。当時朴青年は23歳で、年齢制限をオーバーしていたため血書嘆願を行いました。美談として取り上げた昭和14年3月31日の『満州新聞』によれば、嘆願書に次のように書かれていました。

甚だ僭越にて恐懼の至と存じますけれども御無理を申しあげて是非国軍に御採用下さいませんでせうか。(中略)日本人として恥ぢざるだけの精神と気魄とを以て一死御奉公の堅い決心でございます。しっかりやります。命のつづく限り忠誠を盡す覚悟でございます。

朴青年は満州国陸軍軍官学校を主席で卒業すると、日本男児の最精鋭が集う陸軍士官学校への留学を果たし、昭和19年に卒業しています。

そのとき大日本帝国陸軍では、李王家当主の李王垠(ウン)殿下が陸軍中将として航空軍司令官の要職につかれていたほか、のちに日本に帰化された李鍵(イ・コン)公殿下は陸軍中佐として陸軍戦車学校研究部主事をされ、李鍝(イ・ウ)公殿下は陸軍少佐として陸軍大学校研究部主事をされていました。当時李王家は大日本帝国の「王公族」として皇族に準じる存在でした。つまり近衛家など旧摂関家の公家や、公爵位を授けられた徳川宗家より上ということです。李王垠殿下は皇族の梨本宮方子女王殿下と結婚されています。

容姿端麗で知られた李鍝公殿下は学習院から陸軍幼年学校、陸軍士官学校に進まれ、昭和8年に陸軍砲兵少尉に任官されました。昭和17年3月から陸軍大学校で日本の国体について研究され、皇軍統帥の大義に関する立派な論文を書かれています。同期生によれば日本の古典をよく読まれ、国体への深い識見をお持ちでした。昭和19年の歌御会始のお題は「海上日出」でしたが、殿下は「つはものかさゝぐるつゝにてりはえてみなみのうみにはつひかかやく」と詠われています。
翌年、広島で被爆され戦死されました。新聞で大きく報道され、阿南惟幾陸軍大臣謹話が発表されています。お付き武官だった吉成弘中佐は、殿下を守り切れなかった責任を感じて自決しました。

Prince Lee Wu
李鍝公殿下


ほかにも多くの朝鮮人将校がおり、最高位は洪思翊中将でした。大東亜戦争で陸軍の戦闘機乗りとして活躍した金貞烈大尉は、その後韓国の空軍参謀総長、国防長官、駐米大使、サムスン物産社長を歴任し、昭和62年に韓国の首相になっています。
これらの人が北朝鮮による「840万人強制連行、100万人虐殺」のホラ話を聞いたら、あきれ果てたことでしょう。




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おごそかにたもたざらめや神代より
うけつぎ来たるうらやすの国
(明治天皇御製)