3月末に警戒すべき動きがありました。韓国政府は3月28日、在韓日本大使館の熊谷直樹総括公使を呼び出して、日本の小学校教科書の検定結果について抗議してきました。

抗議の細かい内容は公開されていませんが、その代わりに、韓国政府系シンクタンク・東北アジア歴史財団のチョ・ユンス教科書研究センター長が同じ日に韓国・聯合ニュースに語った内容が、政府の代弁と思われます。センター長は、検定に合格した教科書の写真のキャプションに「志願して兵士になった朝鮮の若者たち」とあることについて、「望んで日本の軍人になったという誤解を招きかねない」と述べています。つまり、朝鮮志願兵は強制された被害者だ、志願はウソだ、という抗議です。

反日プロパガンダの司令塔の北朝鮮政府は、「日本は840万人を強制連行し、100万人を虐殺した」というハチャメチャな主張を繰り返しています。840万人・100万人という数字は北朝鮮の公式見解であり、国連でもその旨主張しています。日本統治時代に朝鮮半島の人口がどんどん増えて、昭和19年頃には二千数百万人だったことを考えれば、笑止千万というほかありません。そして朝鮮総連ホームページは志願兵も強制連行被害者だと書いているので、「840万人の強制連行被害者に志願兵も含まれる」が北朝鮮の見解となります。

荒唐無稽だと笑っていられません。怖いのはインチキの再現ドラマが作られて、見た人たちが「目撃」した気になってしまうことです。慰安婦問題では、泣き叫ぶ少女たちが無理やり連れていかれレイプされ、最後は日本人に口封じで虐殺されるムチャクチャな再現ドラマが作られました。見た人は、「口封じで殺されたから、強制を示す証拠が無いのか!」と納得した気になってしまいました。たとえば下記です。



同じように、イケメン韓流スターが銃剣を突きつけられて強制的に志願兵にされ、地雷探知機代わりに地雷原を歩かされ、仲間は次々と死に、最後に残った主人公も口封じで殺される虚偽の再現ドラマが作られることを危惧しています。涙を流しながら画面で「目撃」した韓国人たちは、「日本に謝罪・賠償させろ!」と韓国政府を突き上げることになります。

そもそも慰安婦問題だって、最初の主張はまったく違うものでした。私は東京地裁に提出された訴状に目を通したことがありますが、売春で蓄えた1億円以上(現在の価値)の郵便貯金を払い戻してほしいといったことが書かれていました。慰安婦になった経緯についても、キーセンになるための学校に通っていたとき、養父に売られてしまったと述べています。ところが同じ元慰安婦はその後主張を変えて、「日本軍将校にレイプされ慰安婦にさせられた」というようになり、英語の記事になって今も日本の名誉を傷つけています。志願兵の話だって、今後どういう展開になるか分かりません。早い段階で潰すことが重要です。


幸い松原仁先生が4月12日の衆議院外務委員会で取り上げてくれました。下記で動画をご覧いただけます。

松原先生は、朝鮮志願兵が大人気で志願倍率が50倍以上だったことを示す旧内務省資料を示して、林外相に強制連行の否定を迫りました。志願倍率数十倍の表は、国立公文書館HPに掲載された下記文書の17ページにあります。昭和18年の志願者30万人は、人口比でいえば現在の日本の150万人に相当します。

昭和16年  志願者144,743人 入所者3,208人 志願倍率45.1倍
昭和17年  志願者254,273人 入所者4,077人 志願倍率62.4倍
昭和18年  志願者303,394人 入所者約6,000人(暫定数) 志願倍率約50倍


ところが林大臣の答弁は呆れ果てるものでした。外務省のファイルで保管された内務省資料であることは認めたものの、「正確かどうか確認できない」といって逃げたのです。それどころか、委員会前日のレクで外務省官僚が「そういう資料はない」と松原先生に言っていたことも質疑で明らかになりました。一体どこの国の外務省だと言いたくなります。日本を不当な攻撃から守ることより、韓国サマのご機嫌を取ることを優先しているように思えてなりません。

内務省資料の数字は信頼できるに決まっています。当時の外務省が信頼できる公文書と判断したからこそ、外務省のファイルに入って、戦後は外務省外交資料館で保管されていたのです。このレベルの公文書が信用できないといったら、歴史研究はまったく成立しなくなります。林外相の答弁はとんでもないと思いました。なぜ、「志願倍率は非常に高く、むろん強制連行ではありません」と率直に事実を言えないのでしょうか?

強制連行でないことは、韓国シンクタンク教科書センター長が批判した教科書の写真も証明しています。上記聯合ニュース記事に出ている写真は、実は『アサヒグラフ』昭和18年7月7日号の「意気軒高たり朝鮮志願兵」という記事から抜き出したものです。

Asahi Graph 19430707

見てのとおり、数十倍の難関を勝ち抜いた精鋭たちが銃を持って訓練しています。もしも強制連行被害者なら、銃や銃剣を渡すなどあり得るでしょうか? 

微笑ましい写真もあります。「僕も是非軍人に採用して下さい 本所の金君も願出づ」の見出しの朝日新聞記事です。

Asahi 1938(S13)0120

当時東京・錦糸町のカステラ店で働いていた金秉学君(慶尚南道出身・19歳)は軍人に憧れて特別採用を願い出たものの、内地人(日本民族)でないため希望が叶いませんでした。それが特別志願兵制度の実施で出願できるようになり、大喜びしているというものです。
想像ですが、金君は無事採用されて軍事技術を身につけ、朝鮮戦争のときは韓国軍将校として部隊を率いて勇敢に戦い、戦後は韓国の独立を守り抜いた英雄として尊敬を集めながら幸せな人生を送ったのではないでしょうか?
特別志願兵のなかには、朝鮮戦争で活躍して、のちに駐日本大使や情報機関トップにまで登り詰めた人もいます。

そもそも志願兵制度は、在京朝鮮人が実現のために力を尽くしたものです。昭和7年の衆議院議員選挙で、皇室中心国家主義の立場から内鮮融和を訴えた朴春琴(パク・チュングム)議員が東京4区(本所・深川)で当選しています。朴議員は衆議院請願委員会で昭和12年8月6日、著述業の李元錫氏ら在京朝鮮人有志による「朝鮮に志願兵制度施行の請願」の紹介議員となり、「内地七千万人の持つ日本精神を、新日本国民である朝鮮二千万人に対して一日も早く植え付け、九千万が一体となってこの非常時を突破しなければならぬ」と力強く演説しました。
このとき政府は、志願兵制度について「時期尚早」と答弁しています。議事録に出ています。ところが翌年に急遽実施されることになりました。その背景に、「朝鮮の人たちがそこまでいうなら、やろうじゃないか」という判断があったことは容易に想像できます。

当時の朝鮮半島は、現在の韓国人が「こうであってほしかった」と創り上げたファンタジーとは全く異なる状況でした。下記の写真で一目瞭然です。

靖国参拝1938

皇族方が昭和13年の臨時大祭に際して靖国参拝されたときのもので、前列左から6人目から李王家の李垠殿下、李鍵殿下、李鍝殿下です。全員日本軍人です。李王家当主の李垠殿下はのちに陸軍中将となり防空の最高責任者でした。殿下の故郷で「志願兵強制連行」などあるはずがないのです。


Asahi 19430721


とにかく慰安婦問題の二の舞はごめんです。インチキ再現ドラマを作られる前に、事実を明確に示して撃退しましょう。




Emperor Meiji uniform
橿原のとほつみおやの宮柱
たてそめしより国はうごかず
(明治天皇御製)