安倍元総理を失ったショックから立ち直れません。私は密かに、第三次安倍政権が成立して憲法改正も朝鮮総連破産(中止を条件に拉致被害者救出)も実現してくれると勝手に信じていました。もう決してかなわない夢となりました。

遠くから手を合わせたいと思い公表されていないご自宅付近に行くと、同じことを考えた人が大勢きていました。葬儀の日に増上寺に行くとたいへんな人混みで、車列が通るとすすり泣く声や「安倍さん、ありがとうございました!」の叫び声が響き渡っていました。

イギリスの新聞テレグラフ紙から連絡がきたので、増上寺前の様子や人々の悲しみを説明しました。外国向けなので、安倍元総理の業績としては北朝鮮人権問題を前進させたことを挙げて掲載されました。


ほとんど知られていませんが、安倍元総理の決断で国連調査委員会が設置され、北朝鮮による「人道に対する罪」の実態が明らかになり、北朝鮮指導部を国際刑事裁判所(ICC)で裁くべしという国連総会決議が採択されています。『正論』に掲載された拙稿「拉致解決に向けて政治が動いた日」で詳しく解説しました。下に一部を掲載します。

安倍元総理の打った手が功を奏し、必ずや拉致被害者を全員救出できると信じています。本当にありがとうございましたと大宰相に伝えたいです。

abeshinzo
訪米時(画像:内閣広報室)


『正論』2020年11月号 67ページより

一般にはあまり知られていないが安倍政権は、北朝鮮人道犯罪の刑事責任追及を国連で決議する歴史的業績も残した。「北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)報告書」をもとに平成26年12月に採択された国連総会決議は、北朝鮮で「人道に対する罪」が行われていると認定し、国際刑事裁判所(ICC)への付託を求めた。
むろん人道犯罪には日本人拉致が含まれている。拉致問題を国際社会の課題にするとともに、国際法廷で裁くべきもっとも重大な犯罪であると正式決定させたのだ。
これはすべて安倍政権が実現させたことである。決議案を起案したのも日本なら、その元となった国連調査委員会を設置させたのも日本である。
我が国が国際人権分野で主導的役割を果たした前例としては、大正8年の国際連盟委員会における人種差別撤廃規約の提案がある。残念ながら時期尚早で、我が国の画期的提案は実現しなかった。
しかし今回は違う。実現したのだ。いずれ金正恩政権が崩壊し、国際社会はアウシュヴィッツ解放後のように「なぜ止められなかったのか」という問いを突き付けられたとき、日本が果たした問題提起は大きな意味を帯びるだろう。


◆政治の覚悟が動かした

経緯を振り返ってみたい。北朝鮮の人権侵害を調べる国連調査委員会を設置させ、国際社会を動かして人道犯罪を止めようとロビー活動を始めたのは、筆者も加盟する「ICNK(北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際NGO連合)」である。
過去にスーダン・ダルフール紛争等で国連調査委員会が設置されて国際世論に多大な影響を与えており、「国連」の権威を背景とする調査は大きな効果が期待できた。むろんアイデア自体は目新しいものでない。提案自体は評価に値せず、業績を評価されるべきは実現した議員である。
ICNKは「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」、「国際人権連盟(FIDH)」といった世界的人権団体をはじめ、世界で最も力があるNGOといわれるユダヤ人団体、「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」や、アメリカ政府と関係が深い「フリーダムハウス」など世界40以上の団体からなる連合組織である。
平成23年9月8日に東京・水道橋の「庭のホテル」で設立総会を開いて結成された。総会では当面、国連に調査委員会を設置させることを目標にしようと決定し、外国特派員協会で記者会見を開いたあと、朝鮮総連本部前で抗議行動を行った。
そのとき欧米人が多数参加したことに驚いたのか、朝鮮総連中央の徐忠彦国際統一局長と対南工作を担当する趙善吾副局長が出てきて、困惑した表情でこちらを観察していた。
設立総会では国際人権団体のアメリカ人幹部から「国連調査委員会を設置できるのは、国連の北朝鮮非難決議案を書いている日本政府だ。日本の皆さんに期待している」との発言があった。日本の外務省には、北朝鮮人権問題に関する国連での非難決議の草案を起案していた実績があるのだ。今回も日本が国連に調査委員会の設置を求める文言を書いて、提出してくれれば、実現は可能だという意味だ。
しかし当時は民主党政権下だった。北朝鮮の猛反発が予想される人権侵害に関する調査を国連に提案するなど、民主党政権下の政府が受け入れるとは到底思えなかった。国際人権団体幹部の期待が大きいほど、日本の参加者は頭を抱えた。それでも「やれることは全力でやろう」ということになり、ICNK日本チームは数十人の国会議員や官僚に面会したり、議員会館内で記者会見や集会を開いたりして、国連調査委員会設置が拉致問題解決に資すると訴えた。
最初に支持を表明したのは山谷えり子参院議員だった。山谷氏は集会でも熱烈な応援演説をしてくれた。まずは国会議員への“理解”を広げたいと考えていた私たちにとっては実に心強い思いだった。
ただ、私たちの訴えは予想通り、大きな壁にぶち当たった。なかなか理解が得られずに広がらなかったのである。拉致問題で有名な大学教授からは当初、慎重意見が出た。交渉相手である北朝鮮を糾弾しすぎることは避けたいという考えだったが、こうした取り組みは拉致問題の解決にも資すると私は信じていたので、正直、ショックだった。
関係省庁も軒並み理解が得られず色よい返事はなかった。外務省にせよ政府拉致問題対策本部も同様だった。どこに持ち掛けてもまったく進める気配が感じられず終始厳しい表情といった具合だった。
とつぜん光が射したのは、平成24年3月、当時野党議員だった安倍晋三氏に面会したときである。当初安倍氏は、ICNK日本チームに元民主党参議院議員がいたためか、興味なさそうな表情だったが、しばらく説明すると「これは良いアイデアだ」とすぐさま賛同してくれた。そして個人的に親しい民主党の現職大臣に直接電話を入れて勧めることまでしてくれた。
このように一瞬で本質を見抜く直観力は天性のもので、努力して身に付くものではないと、安倍氏を目の前にして感じた。
そのあと拉致被害者救出に情熱を燃やす古屋圭司衆院議員と山谷氏が、国連調査委員会設置が自民党の政策になるよう強力に推し進めてくれた。
自民党の政策は、部会や調査会から原則全会一致で上がって出来ていく。そのため実力ある議員がよく勉強したうえで熱心に取り組まなければ実現しない。古屋氏と山谷氏の尽力は決定的だった。山谷事務所のスタッフにも随所で助けられた。実際のところ議員だけでなくスタッフも熱心に動いてくれないと強い影響力を持つ政策は採用されない。
その結果、同年11月に発表された自民党総合政策集に「国連に拉致問題に関する調査委員会を設立する努力などを通じて国際社会と連携しながら、国家の威信をかけて拉致被害者全員の帰国を実現します」という文言が入り、設置推進は自民党の公約となった。発表当日にコピーを受け取ったとき、この日が歴史のターニングポイントになると思った。
同年12月に第2次安倍政権が成立すると、外務省は突如として全力で動き出した。ジュネーブで各国外交団と折衝している国際人権団体責任者からは、日本外交官の熱心な動きが現地で話題になっていると言われた。以前はそれほど積極的に話を聞いてくれなかった外務省幹部は今度は溢れんばかりの笑顔で迎えてくれた。
そして平成25年3月、日本はEUと共同で国連調査委員会設置の文言が入った決議案を国連人権理事会に提出して採択させた。
採択のあとICNKは、加盟団体の総意として日本政府に感謝する声明を発表した。「日本政府の献身的努力に深く感謝の意を表する。日本は、欧州連合(EU)や韓国・米国を含む他の主要国に対し同委員会の設立支持を促すにあたり、先陣を切る重要な役割を果たした」というものだ。
またヒューマン・ライツ・ウォッチのケネス・ロス代表は「ニューヨーク・タイムズ」紙上で安倍政権を絶賛する論文を発表したが、題名は「人権の太陽が昇る」という旭日旗を意識したものだった。国際人権団体がこれほどまで日本を高く評価したのは過去に例がない。
国連調査委員会はマイケル・カービー元オーストラリア最高裁判所判事を委員長として成立し、限られた期間で実に熱心に調査した。筆者が訪日したスタッフに面会したところ、個別の特定失踪者事案について細かい質問を受け驚いた。調査は厳密で徹底したものだった。そして平成26年2月、「北朝鮮による組織的、広範かつ重大な人権侵害」が人道に対する罪を構成すると認定した報告書が発表されると、世界各国の北朝鮮に対する見方や拉致への認識は一変した。前述の国際人権団体のジュネーブにいる責任者によれば、各国外交官が競って北朝鮮人道犯罪を非難するようになったという。
欧米にはナチスの台頭を許してしまった過去があるため、人道犯罪を行っていると認定された政権は改善を約束したところでなかなか受け入れられない。安倍政権は拉致問題解決に必要な圧力を劇的に高めたばかりでなく、世界史に残る60年以上も続いている人道犯罪を止める上でも主導的役割を果たしたのだ。日本は実は、たいへんな外交力を持っているのだ。それを活用できるか否かは、責任を取る覚悟のある政治家が現れるかどうかにかかっている。
筆者らが24年9月に当時自民党組織運動本部長だった菅義偉議員に面会したとき、自身が総務大臣だったときに朝鮮総連施設への税減免をやめさせたことや、NHK国際放送に拉致問題報道を指示したことを例にあげながら「官僚はどうしても慎重になる。だから政治が責任をとらなければならない」と述べていた。確かに同年8月、当時の鶴岡公二外務省総政局長に面会したときに「官僚だけで勝手に事を進めることはできない」と述べていた。私たちの取り組みに霞が関の官僚たちが一様に冷淡だったことも、政治の方針が確立すると熱心になることも合点が行く気がした。政治の力強いリーダーシップがどれほど大事なのかということであり、今回の場合は、安倍氏の慧眼なしには実現しなかった。



Emperor Meiji uniform
くにのためたふれし人をおもひつつ
ねたるその夜のゆめにみしかな
(明治天皇御製)