★ 戦後は犯罪者と罵られる 

寒中お見舞い申し上げます。

昨年末に松原仁議員が「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金に関する質問主意書」を政府に提出し、遺族の境遇や心情について次のように書きました。私の実家も戦没者遺族ですが、まったくその通りだと思いました。

「このような遅延は、戦後日本でたいへんな苦労をされてきた戦没者遺児に対して礼を欠いている。多くの遺児は、経済的に窮した母子家庭で育った。進学を諦めざるを得なかった遺児は少なくない。さらに就職や結婚において、不当な差別のため多くの困難に直面している。
戦没者の遺骨収集は長い間不十分なものだった。前述の札幌市の男性は、亡父も、また同じく戦死した叔父の遺骨も戻ってきていない。
そして、遺児にとって靖国神社は亡父を祀った心の拠り所であるが、近隣諸国による不当な内政干渉のあと、内閣総理大臣が公式参拝を見送るようになった。亡父や遺族が国家の安寧のために払った多大の犠牲を否定されたように感じ、心に大きな傷を負った遺児は少なくない。
諸外国で戦没者遺児は、国家のために一命を捧げた英雄の遺児として扱われ、給付型奨学金などの制度が用意されているが、我が国では大きく事情が異なった」

靖国御親拝
昭和天皇による靖国神社御親拝

戦没者遺族は実質的に戦後日本の被差別集団だったと思います。他の被差別集団との違いは、肩身の狭い思いをして小さくなって過ごしてきたので、声を上げて権利を主張しないところです。

日本遺族会会長の水落敏栄議員はインタビューで次のように語っています。

「母は朝4時から田畑を耕し、日中は土木作業に行って、私を育ててくれた。貧しくて学校の集金の支払いもままならない。コメは換金してしまうので1週間に1回しか食べられなかった」
「母を助けようと中卒で就職しようとしたが全て落ち、当時の担任に『お前は片親だから』と言われた。父は国の命令で戦地に行き命を落としたのに、戦後は『戦争に加担した犯罪者』と差別された。その理不尽さが政治家として活動する上での根底にある」

別の産経の記事では次のように語っています。
「昭和38年に日本遺族会に奉職し、九段会館に配属されました。当時、戦没者の遺児は「片親」ってことで企業に就職できなかった。窮状をわかっているから、遺族会が遺児を集団就職させたんです」


質問主意書のなかで松原議員は給付型奨学金について書いていますが、たとえばイギリスの場合、戦没者遺児が高等教育を受けると年に最高で13950ポンド(約210万円)を受け取ることができます。これは物価が安い大学都市では相当な金額です。英政府HPに解説があります。

なによりも周囲の目が違います。以前イギリスのドラマをみていたら、主人公が父が戦死していることを告げた瞬間、周囲が一気に尊敬のまなざしになるシーンがありました。私はイギリスに住んでいたことがありますが、あれで間違いないと思います。軍人は尊敬されていますし、戦死者は「みんなのために一命を捧げられた人」と正しく認識されています。

数年前に外国人を靖国神社の遊就館(博物館)に案内したとき、祖父の小さな写真が展示されていることを話すと、「それはご家族の誇りでしょう」と言われて驚いたことがあります。
日本では考えられないような反応です。長い間、水落議員が述べているように「父は国の命令で戦地に行き命を落としたのに、戦後は『戦争に加担した犯罪者』と差別された」が普通だったと思います。


前向きな答弁

幸い、12月28日に閣議決定された政府答弁は前向きなものでした。質問主意書への答弁では珍しいことです。下記でご覧いただけます。

政府は、「戦没者の遺族に対する援護は、国の責務として重要なものであると認識しており」と明確にしました。
そして遺族に対する特別弔慰金支給の遅れについて、「請求書類の一部の廃止による請求手続の簡素化、事務処理マニュアルの充実、都道府県の職員を対象とした研修の実施等の措置を講じてきたほか、裁定に係る事務処理の遅れが見られる都道府県に対する助言、裁定に係る事務処理が円滑に行われている都道府県の取組事例の共有等を行っているところであり、今後とも特別弔慰金の請求手続に関する事務処理の迅速化を図ってまいりたい」と約束しました。

特別弔慰金支給の異常な遅れを一日も早く解消する必要があります。それとともに、国を守るため命を捧げるとはいかなることか、日本全体で見直す必要があると思います。



Emperor Meiji uniform
我國の為をつくせる人々の
名もむさし野にとむる玉かき
(明治天皇御製)